おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●映画『ノーザン・ソウル』(2019年3月4日)

おれはゆるふわソウル畑の人間なので、「ノーザンソウル」と言われたら、モータウンサルソウルといったアメリカ北部のシカゴやらデトロイトやらフィラデルフィアの都会的なソウルミュージックマーヴィン・ゲイだとかダニー・ハサウェイみたいな、甘くて洒落た「シティ・ソウル」と呼ばれるジャンルを指すもので、それに対して、アトランティックやスタックスの、泥臭くて「コテコテ」でファンキーでファニーな南部の「サザン・ソウル」というものがあると。

最初予告編見たときに「ノーザンソウル」ってタイトルだったから、モータウンとかのスムースでポップなソウルミュージックにまつわる映画なの?とか思ってイマイチ想像がつかず、「また日本の映画会社が変な邦題つけたんじゃねえのか?」とか思ってた。つまり、おれはこの映画における「ノーザンソウル」という言葉が、イギリス北部の労働者階級の若者に起こったムーブメントのことだということを、今日の今日まで知らなかったのですよ。

 

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英国音楽文化に詳しいtkskくんの解説やらを総合すると、R&Bで踊るパーティはロンドンのモッズの間で流行っていたんだけど、それから少し遅れてイギリス北部の都市の若者に火がついて、古いソウルミュージックをガンガンに流してスピードをキメて踊り狂う、というのちの「レイヴ」、クラブDJ文化の源流のようなものになった、とのこと。知らなかったねえ…

ところで映画の内容は、地方の鬱屈した男がソウルミュージックとそれを愛して踊る仲間に出会い、素敵な音楽と仲間に出会った彼は居場所と生きる喜びを見つけていくが、青春映画のお約束というか、青春のお約束というか、「調子に乗る」「やりすぎる」で破綻して…というね。ストーリーは凡庸なほどに王道の「何かを好きになるということ」系青春映画。

ぶっちゃけると、物語はどうでもいい…とまでは言わないが、何しろおれはソウル畑の人間なので、出てくる曲出てくる曲全部超いいね!って感じで、「早く次の曲聴きてえ!」って感じになって、ずっと見てたい気持ちになってしまった。まあとにかく音楽と、その音楽が流れる場の雰囲気が最高なのですよ。

でね、ちょっと込み入った話になってしまうんだけど、「物語よりも次の曲聴きてえ!」って感覚こそが「ソウルミュージックの魅力」なんじゃないかと思ったのです。というか、DJってものの役割はこれだろうし、主人公の二人がクラブDJとして「人を踊らせる」ことでのし上がっていく物語としては、決して間違った見方ではないのかな、と思った次第。

ところで、ロックに心打たれた若者をモチーフにした映画だとしたら、きっと彼はロックスターに心酔してギターを手にしてバンドを始めて…って話になるだろうけれど、ソウルの場合は「それを聴いていかにカッコよく踊るか」なんだなと改めて思う。

で、ここから先の話は「ロックとソウルの聴き方の本質的な違い」やら「やはり考えてしまう太田和彦吉田類」といったような長い話になってまとまっていないので、続きは「カバーアップ」ということで…

それにしても、いい映画だったし、音楽っていいよね。(2019年3月4日)

 

【2020年の追記】

特になし。いい映画だったしいい音楽だった。