おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●原武史『レッドアローとスターハウス 〜もう一つの戦後思想史〜』(2013年12月12日)

世界には「赤い矢」を名乗る有名な鉄道が3つあり、一つは西武鉄道秩父に行く特急「レッドアロー」、一つはスイスの山岳観光鉄道であり、西武線のレッドアローは秩父をスイスに見立て名付けられた。そしてもう一つは、なんとスターリン時代のソ連で開通したモスクワ〜レニングラード間の特急の名前…。

 

 

西武鉄道創始者であり、「ピストル堤」と呼ばれた巨魁・堤康次郎は親米反共の政治家でもあり、戦後にひばりが丘や久米川などの沿線に大規模な公団の団地が建設されていくのに足並みを揃えて輸送量が増えていき西武王国は繁栄を極める。彼が衆院議長までのぼりつめて旧皇族の邸宅を買い取ってプリンスホテルにした、って話は何かとお騒がせの都知事著『ミカドの肖像』などに詳しい(ちなみに福島第一原発の土地も堤が持っていて売却したものらしい)。

アメリカを理想郷とする堤は西武園を「ディズニーランド」にしようと画策する。しかしながら、公団が建てた団地はスターリン時代のソ連の集合住宅をモデルに造られ、沿線住民は移動も買い物も娯楽もすべて西武という独占企業に依存した集団主義的なソ連的風景を形成するに至る。

しかも当時の団地の住人たちはホワイトカラー層であり(団地は憧れの住まいだった)、生活インフラへの不満が高まり、住民運動も勃興し、日本共産党の幹部やシンパが次々に移住し活動を展開することで共産党の強固な支持基盤となり、堤が描いていたアメリカの象徴だった西武園で毎年「赤旗まつり」が開催され、競輪開催日以外に集客のない駅に数万人規模が押し寄せる日に西武鉄道は臨時急行を運行し、割引キップを販売することとなり、西武沿線は図らずも社会主義思想と隣り合わせのコミューン的な地域になっていった。
そしてその源流は、清瀬ハンセン病隔離施設である全生園や『となりのトトロ』のお母さんが入院していたサナトリウムを中心とする戦前からの医療施設群と、共産党系の「赤い病院」の存在へ。砂川闘争、狭山事件

そして、堤康次郎のあとを継ぐはずだった堤清二は父への反発から東大で共産党に入党して活動し、その後後継者になった時に本体の鉄道事業を弟に譲り、流通部門で実業家となるものの社会主義へのシンパシイを捨てずに、80年代のセゾン文化という形でその屈折を形にしてみせる…。

単純な「地方/中央」ではなくて、「下町/山の手」からさらにもっと細分化して「沿線」に注目して論じられた本。沿線によって文化がまったく違うな、と思っていた埼玉モノのおれとしては大変面白かった。

あと、著者が西武線の思想史との比較における「中央線の過剰な語られ方」への微妙な違和感の視線がちょいちょい出て来るところが、実にいい。「丸山真男は吉祥寺に住んで、不破哲三はひばりが丘に住んでいた」とか、「中央線の国立で自由学園主催の主婦向けセミナーが開かれているころ、西武沿線ではタスキがけの団地住人の女性が西武運賃値上げ反対闘争をやっていた」とか、しまいにゃ「昭和天皇は中央線の終点高尾の多摩御陵に眠り、不仲といわれた弟の秩父宮西武線の終点西武秩父秩父神社に合祀されてる」なんてことまで書く。面白い、面白過ぎる。

ちなみに堤康次郎が「学園都市」のプランを立て、大泉学園も一橋学園も成功しなかったのだが、唯一成功したのが国立である。

ここからは業務連絡だが、国立に生まれ育ち、上石神井の高校に通い、高田馬場の大学に5年行き、新井薬師に住んで、早稲田松竹の裏に住んで、今は下落合に住んでいるという、西武線抱きマクラを買う勢いで西武線と溶け合って生きて来たオマエは絶対に読むべき。鎌倉の巨大な堤康次郎の墓参りぐらいしなさい。

学術書というにはちょっとジャーナリスティックとは思うけど、読み物としてとにかく、実に面白い本だった。

 

【2020年の追記】
同書は文庫化から増補を重ねて新潮選書に入った。カバーイラストが素晴らしいので生かして欲しかったが。

 

レッドアローとスターハウス :もうひとつの戦後思想史【増補新版】 (新潮選書)

レッドアローとスターハウス :もうひとつの戦後思想史【増補新版】 (新潮選書)

  • 作者:武史, 原
  • 発売日: 2019/05/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)