おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●さようなら、ミスター・ブルースカイ(2018年6月14日)

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小島武夫の麻雀は古い。古いどころか、その当時から「勝てる」打ち方ではなかったことはもろもろの文献や牌譜からハッキリしている。おれも小島武夫は宇宙一カッコイイと思っているが、打ち方をいいと思ったことはない。

街場の雀荘には小島武夫よりも強くて勝ち続けている雀士は当時からたくさんいたし、同じ麻雀新撰組の古川凱章の方が強かった(とされている)。古川は麻雀を囲碁将棋のような世界として確立したいという野心があった。実際彼の元からは今現在「レジェンド」として「競技麻雀」の世界で君臨する麻雀プロが育っている(故飯田正人、井出洋介、金子正輝、新津潔、五十嵐毅…)。

じゃあ、小島武夫は何をしたか。と、考えてみると、小島武夫が「何かをした」とハッキリ言うことができないことに気づく。

普通に使っている「裏スジ」「間四ケン」といったテクニカルタームを作ったイノベーターとしての側面はある。小島武夫なんか古いしクソ弱いし、という人もこれらの言葉を使っている。当たり前すぎて気づかない。

麻雀が「強く」て、あらゆるギャンブルに精通していて、豪快で、酒が好きで、女が好きで、借金抱えて…ロクなもんじゃない(笑)アウトロー的な所作がカッコよかった当時であっても。

そんな小島武夫がもし、青白くてクールでシャープで鶴のような男だったら、小島武夫は「ミスター麻雀」にはなれなかったろうし、もっと言えば、ここまで麻雀というものが大衆的な娯楽になっていなかったと思う。

そして、東京で博多弁を直してしまっていたら。

小島武夫は、「カッコよくて、明るくて、笑顔が魅力的」だった。つまり、小島武夫の最も偉大だった部分は「魅力的」ということだ。「アイドル」と言う言葉で思い浮かぶものとして、おれの中でこれ以上のものはないと思う。

「魅力しかない存在」。これはバカにしている訳ではない。むしろ、世の中の多くの人間が欲しくても手に入れられないまま死んでいくものだ。小島武夫はそれを手にしていた。

この人間的魅力だけで「小島武夫なりたいボーイ」が集まり、古川門下とは別の色合いの「プロ麻雀」の世界を確立し、そこから集合離散を繰り返して、今に至る。「こんなカッコイイ人になりてえ」と思わせ、「こんなカッコイイ人の近くにいたい」と、当時の雀荘にのたくっていた若者に思わせた。

小島武夫は死ぬまで「魅せる麻雀」と口癖のように言って、負けちゃあバカにされていた。でも、「魅せる麻雀」を堂々とできるのは、小島武夫自体に「魅せる」力があるからだ。

今、人気実力共ナンバー1で、タレント性もある麻雀プロ・多井隆晴が「麻雀の強いやつなどたくさんいる。強いだけではプロとして食えるわけではない」と口癖のように言っている。

そういう話を読むときに、あまりに当たり前すぎるのか、あまりに風景として慣れてしまっているのか、小島武夫という存在を忘れていたように思う。

「強いだけではプロじゃない」というのは、小島武夫がすでに50年前に達成していたのだ。

翻って、おれは麻雀プロではないが、やはり「魅力」というものは人間にとって非常に大事なことだ。

小島武夫の麻雀は古いし、現代では通用しない。けれど、小島武夫は魅力的なのだ。「魅せる麻雀」とは、純チャン三色を作ることではなく、「魅せる人間」の打つ麻雀のことだったのだ。

小島武夫は「青空」だった。曇天模様の麻雀界に光を差し込んだ「青空」だった。

その青空の下で、その後の麻雀打ちは生きてきた。いろんな太陽が昇り沈み、いろんな鳥が飛び回っている。青空の下では、生きとし生けるものが笑ったり泣いたりするのだ。

日照り続きで参ったな、と青空を恨めしく見た日もある。暑くてかなわねえ、と思った日もある。でも、青空はいつもそこにあって、おれたちはその青空の美しさを忘れて生きていたのだ。

 

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ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2』を見たとき、ちょうど小島先生がモンド麻雀プロリーグから引退するという話を聞いた。

そして映画を観終わって思った。小島武夫が死んだ時はこの曲をおれのFBでは葬送行進曲として貼りたいなと。

思いの外早かった。

柄にもなくキザなようだけれど、訳詞と今日の「ダブリー一発ツモドラドラ」を、天国の小島先生に捧ぐ。

 

やあ、ミスター・ブルー
君と一緒にいられて本当にうれしいよ
周りを見渡してごらん
君のお陰で、みんなが微笑んでいる
よくやってくれたよ、ミスター・ブルー
君がしてくれたことを僕はずっと忘れないからね

 (2018年6月14日)

 

【2020年の追記】

柄にもなくキザだなあ。そしてこの1ヶ月後、小島先生が夢見ていた(と、思う)プロ麻雀リーグ、Mリーグの設立が発表されるのだった。