おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●アニメ『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』~言霊論~(2012年6月12日)

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あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』鑑了。
もう、わかっちゃいたけど、わかっちゃいたけども、案の定、ちれーな涙が出たよ。こんなおれにもこんな涙が流れるのかというね。何かもう、ここまで来ると汚ねえよ!政策委員会!電通

野暮を承知で大仰なことを書く。これって「言霊」の物語だと思うんだ。あの時いえなかった一言、あの時言ってしまった言葉がまずモチーフになっているところから始まり、「あなる」って呼ばれてた子が出てきたり、何より子供の頃に「好き」というのと、17歳で「好き」というのは意味が変わってくる。なぜなら、使う人間が変わっていくから。つまり成長というモノの一側面は、言葉の数と意味を知って行く過程とも言える。
死んでしまっためんまちゃんがみえない連中は、彼女に生き返って欲しいとか目の前に現れて欲しいってこと以上に、言葉を伝えたい。めんまちゃんも彼らに意思疎通を図るためにお筆先みたいなことを試みる。
たとえば死んだばあちゃんが目の前に現れて欲しいなと思うけど、それはイコール話がしたいってことだから。もし、話できなかったらただの霊体験でおっかないだけだ。

そしてラストに、見事に言葉の持つ力で締める。これがまた巧いね。泣かしどころを知ってるね。良かった。ウェルメイド、とはこういうことを言う。いい作品だった。

<追記>欲、というか妄想みたいなこと言えば、これもう少し年齢が上の設定でもよかったんじゃないかと思う。ラストシーンとかに齟齬が出るが、それはそれで見たい。

<追記②>脚本が生真面目すぎるとこあって、アニメ的イリュージョンがなくても成立してしまったゆえ、実写でもいいんじゃないか?とボンヤリ思ったが、夏の風情を描くのは実車よりアニメの方が向いているなと思った。

<追記③>もう一度書くが、この作り手が大林宣彦見てないハズはないだろうと思う。これ、着想は『さびしんぼう』+『異人たちとの夏』だろ。

 

〈ネタバレ注意のダメ出し〉ただ、最後の反省会みたいのはちょっと唐突過ぎたかな。もう少し匂わす伏線欲しかった。あと、メガネの子のナルコへの感情とかがわかる伏線、かくれんぼのシーンも伏線欲しい。あと、ラストの「僕らは大人になる云々」の説明は要らない。(2012年6月12日)

 

【2020年6月の追記】

先日大林宣彦が亡くなったが、「夏」「花火」「少女」「死」の組み合わせは大林の発明じゃないかと思っていて、その後のアニメなどに与えた影響はとてつもないと思うのだ。