おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●原武史『<出雲>という思想 近代日本の抹殺された神々』(2014年1月18日)

今日のように初詣に行ったり、サッカーや競輪で氷川神社にたまに行くとそのデカさに驚く。
さいころから学校行事や祭りや縁日や遠足やなんやかんやと氷川神社大宮公園には行き慣れていたせいで何とも思わなかったけど、大人になって大宮を離れて改めて行くと「でけえなあ」とつくづく思う。

の、割には大宮氷川神社知名度は低い。「武蔵一宮」でありながら、明治神宮だの鶴岡八幡宮だのといったインディー団体のような神社に明らかに知名度が低い。

そもそも、なぜ大宮の方が街もデカイし門前町の伝統もあるし交通の要衝でもあるのに埼玉の県庁が浦和にあるのか。大宮の人間ならばこの理不尽を一度は感じたことがあるだろう。少なくとも埼玉の人間ならば理不尽とは言わないまでも、不思議に思わないか。というか、浦和レッズ以前って明らかに大宮の方が知名度あったしね…新幹線も停まるし、そもそも浦和なんて特急が通過するじゃねえか…と埼玉の終わりなき不毛な戦い「大宮VS浦和」という話は尽きないワケだけども、ちょうど大宮がJ1昇格した頃にこの本を読んで、この長年の疑問がかなーり根の深いことを知ったのです。

氷川神社の創建はかなり古くて、すでに4世紀にはあったってんだから凄い。大化の改新の時にも武蔵の国(早い話が関東の)の政治的中心として定められていたのだが、大宝律令(701年)で中心が現在の東京の府中市に移ってしまう。が、大宮氷川神社の格式はずっと維持されていて、江戸時代は門前町でもあり中山道の宿場町として栄え、その後の日本に大きな影響を与えた「復古神道」の平田篤胤氷川神社を中心とする信仰の形を論じ…で、「祭政一致」をスローガンにして神道による国家の統一を図ろうとした明治維新がくる。

16歳だった明治天皇は王政復古ということで京都御所を出発し、江戸城に入り「皇居」となる。ここに首都・東京が成立する。
で、明治天皇はその4日後に氷川神社を「武蔵国総鎮守」とする勅令を出し、その10日後には氷川神社に出向いて祭を執り行っている。これにより「勅祭社」という格を得るのです。これはかなりなことで、言うてみりゃ伊勢神宮熱田神宮とほぼ同格なわけです。そして廃藩置県の準備段階として「大宮県」を置いた。

ところが、大宮県はわずか半年で、これといって何もない隣の小さい町である浦和に県庁が移され「浦和県」になっちまうのです。わずか半年で、だ。なぜか?

この本の中では断定はされていないのだが、状況証拠から言うと「氷川神社出雲大社系の神社のかなりの幹部だったから」のようなのだ(氷川神社の神様はスサノヲで、出雲大社オオクニヌシの父にあたる)。

明治に入っていわゆる「国家神道」による体制を造るにあたり、伊勢神宮出雲大社の間で派閥争いというか、神学論争のようなものが起こるのです。
早い話が、「どっちが神社のトップなのか?」という問題です。細かい話をし出すとキリがないし面白すぎるので割愛するけども、アマテラスを祀る伊勢神宮と、オオクニヌシを祀る出雲大社の間で「どっちが最高神なのか決めようじゃねえか」という戦いが起こる(正確に言うと、オオクニヌシ国家神道の神に入れるかどうかという話)。
日本書紀オオクニヌシというのは地上を「不当に」支配していたのだが、アマテラスの孫のニニギに「国を譲り」自らは「幽界」、早い話が神の世界を治めるよ、と宣言した神。あーむずかしいね。つまり、アマテラス(伊勢)というのはこの日本の国土を支配する神で、オオクニヌシというのは国土ではなくて「あの世」を支配する神になった、という感じか。

伊勢vs出雲の論争というのは早い話が、

伊勢神宮の言い分→「国土を治める神道なんだから、あの世を治めるオメーらはすっこんでろ」
出雲大社の言い分→「は?そもそも誰のおかげでそんなこと言えるんだ?国を譲ったのはこっちだろこのタコ」

という争い。経営者一族と創業者一族の争いのようなこの論争が政府内で泥沼化して、結局天皇の判断で「伊勢神宮を頂点とする」と決まる。
もうお解りかと思うのだが、この伊勢側の勝利と期を同じくして、「大宮県」は「浦和県」になってるのだ。

これは果たして偶然か?と。出雲大社オオクニヌシの父であるスサノヲを祀る氷川神社の求心力を、伊勢神宮の明治政府が奪ったと見るのが素直な見方と言わざるを得ないのであります。つまり氷川神社は本来は相当に格式が高い神社で(実際、戦前の格式では出雲大社と同等。しかし勅祭社として伊勢神宮とかと同等であるべきだ、との意見もある)あるにも関わらず、国家神道の確立にあたっての路線闘争において伊勢神宮が勝ったことにより冷遇されてしまったわけです。

そして氷川神社門前町である大宮も、実体としては埼玉の商都でありながら、トップにはなれない宿命になってしまったという…。大宮vs浦和という対立は、やれさいたまダービーだ、新幹線が止まるだ、文教地区だ、パルコがあるとかないとか、そういうレベルの話じゃなく、神々の戦いを背景にしたものだったというね(笑)

まあ、商都でありガラの悪い街でもある大宮の二面性は、疫神であり英雄であるスサノヲの宿る街にふさわしい気もするが(笑)(2014年1月18日)

 

<出雲>という思想 (講談社学術文庫)

<出雲>という思想 (講談社学術文庫)

  • 作者:原 武史
  • 発売日: 2001/10/10
  • メディア: 文庫