おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●旅と、殿山泰司と、『あまちゃん』と。(2016年4月16日)

 

九州から帰ってはや1週間。ゴボ天うどん食いたくて食いたくて震える(西野カナ)なおれです。

ところでおれの旅のバイブルのような本が3冊ありまして…

一つは何度となく書いているけれど山口瞳の『草競馬流浪記』。
1980年代バブル前夜の日本の、滅びゆく地方競馬場を巡る旅打ち文学のクラシックであり最高峰。もう、何度読んだか知らないが、華やかな東京の一流文化人である山口瞳が、寂れた競馬場と地方都市を、愛情と隠しきれない侮蔑の目で(笑)描く筆致が独特の味わい。「この街には競馬場がある、ではなくて、この街は競馬場のある街、なんだ」という切り口が好きなのです。おれの場合は競輪だけど、「競輪場のある街」弥彦、静岡、四日市、玉野、高知、佐世保、久留米と巡っているのです。

二つ目は山口瞳のライバル(?)である開高健の『オーパ!』であります。これは山口瞳の逆で、超一流の釣竿とカメラマンと料理人を連れてやれアマゾンやアラスカだモンゴルだと釣りをしに行くという…きっと今頃団塊世代が憧れまくって年金無駄遣いしてんだろうと思うと払う気も失せるというものだ。でも、やっぱり最高で、とにかくスケールがデカくて、シャレてて、文章が美しい。戸惑い気味につぶやくような山口瞳と対照的。 

【電子特別版】オーパ! (集英社文庫)

【電子特別版】オーパ! (集英社文庫)

 

ちょいと文学論になるのだが、山口瞳は明らかに開高健を意識していたと思う。開高健ベトナム戦記だアマゾン紀行だ幻の魚イトウを追う、といった広角レンズの視野に対して、元野球選手の開いた居酒屋の物語(『居酒屋兆治』)だの地方競馬だのに向かったこの単焦点レンズのような山口瞳の視野。カメラで例えれば、単焦点の方がレンズは明るい…と信じて山口瞳は日本を歩いた。このサントリー出身の二人の作家のコントラストというのは本当に面白い。

 

そして「三文役者」の登場です。殿山泰司『三文役者のニッポンひとり旅』。と、いうか殿山泰司の作品すべて、とも言える。つーか、おれの人生レベルでも相当デカい「作家」なのだけれど。

まあ、正直言うとこれが一番おれの味わう「旅」の持つ味わいに近い。だっておれ身の回りの世話してくれる担当編集者いねえし一流料理人いねえし釣りやらねえし一流旅館泊まらねえしマジ一人だし。

半ば「好色キャラ」に乗ってるんだろうけど、「徳島の女は阿波踊りで腰を使ってるから…」だのを「タイちゃん節」で書き散らしているんだけど、おれが殿山泰司の旅コラムで一番共感するところは、「街っ子のふるさと探し」の感覚を覚えるから…であります。もっと具体的に言うと、「方言アコガレ」と言いましょうか。

殿山泰司の「オッチャンナニイッテルノ」だの「キャンキャンと泣けるわぁ」だのといった独特の「タイちゃん節」は、東京でも下町ではなく銀座育ち(確か生まれは神戸だけど)のタイちゃんが思う「おれの心の中にある故郷の方言」なんだと思うのです。人工言語としての方言。

アレだ、『あまちゃん』で東京生まれのアキちゃんが三陸に馴染んで、「じぇじぇ」だの人工言語としての方言を使うことに近いと思う。

そういえば今回佐世保に行っておれがあまりに佐世保に馴染んだもんで、地元ガイドに「正直佐世保戻って退屈だったんだけど、タケちゃんが面白がってるの聞いて改めて好きになってきた」と言われたんで、『あまちゃん』好きとしては冥利に尽きるというかね、まあ同じ「天野」だしね…結局、ふるさと探しなんだよなあ…オッチャンナニイッテルノ、阿呆!(2016年4月16日)

 

【2020年6月追記】その後、佐世保を訪れたときに御年97歳の名物お婆ちゃんの経営する飲み屋で朝まで飲んだ。その店も数年前に閉店された。