おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●あたしはここよ(2013年9月13日)

オフクロが履物屋の店を閉めてかれこれ10年近くになる。

大宮の駅前で履物屋をやっていた婆ちゃんの遺志をついで、オフクロが家計のタシにやっていた。末期はクリーニングの取り次ぎもやっていたので、駅前のホストやら、キャバのシングルマザーの女やら、独居老人やら、日能研に通ってる小生意気なガキやら、色々な人がやってきてはくっちゃべって帰る、というまったくもって経済効率の悪い店だったが、閉店するときにホストや水商売の連中が「お母さん、閉めちゃうんだって?」なんて挨拶に来たり、日能研のガキがチョコレート持ってきたり…その時のオフクロの感激ぶりが印象に残っている。

「嬉しいわー、やっぱりウチは街で生きてきたね」なんつって。映画『スモーク』を字で行く感じがして誇らしくもあり。

 

その頃の常連さんにタカクラさんというお爺さんがいた。
おれは何度かしか会ったことがないのだが、お爺さんといっても体躯は大きく黒髪で、肌の色つやもいいお爺さん。レーサーの自転車に乗って、店にやってきてはオフクロとくっちゃべって、適当な洗い物を投げてサンダルを買って帰る常連さん。

駅前で小料理屋をやっていて、奥さんとはずいぶん前に別れて、今は新しい「ツレ」と、猫と一緒に暮らしてるお爺さん。

「おれ、競輪選手だったんだよ」とタカクラさんが言ったのは店に来るようになって何度目かのころだったそうだ。


「あの頃はさ…九州の歯医者が麻雀のメンツが足りねえからって呼ばれて、レースの後に飛行機で行ってさ…」
「大宮北中の校門って、おれが寄付したんだよな…」
京マチ子とさ…」

へぇー、そんな人がいるんだねえ、カッコいいねえ、なんて当時競輪をあまりやってなかったおれは聞いていた。

ある時、競輪ファンでも名高い阿佐田哲也のエッセイを読んでたらこんなタイトルの小文があった。

『がんばれ高倉登』

えっ?と思った。
内容は「大宮競輪で一世風靡した高倉登が事業に失敗して今苦境にあるらしい…」
読んだ当時ですで20年近く前の文章だけれども、えっ?あのタカクラさん?マジ?と、思ってウィキペディアで調べてみると、

天才・高倉1951年8月、ホームバンクの大宮競輪場で開催された第1回全国都道府県対抗争覇競輪(全国都道府県選抜競輪)の6000メートル競走で初の特別競輪(現在のGI)制覇を果たし、同年10月に大阪中央競輪場で開催された第5回全国争覇競輪(日本選手権競輪)では、1着入線の高橋恒の失格による繰り上がりながらも優勝を果たす。ちなみにこの当時、高倉は18歳であったが、現在もなお日本選手権競輪における最年少優勝記録を保持している。
翌1952年、高倉は更なる快進撃を続ける。同年5月に開催された第6回全国争覇競輪(川崎競輪場)では完全優勝を果たし、同大会の連覇を達成。続く6月に開催された高松宮同妃賜杯高松宮記念杯競輪)でも完全優勝を果たした。そして、続く8月に福岡競輪場で開催された第3回全国都道府県対抗争覇競輪6000メートル競走でも優勝を果たし、史上初の特別競輪3連覇を達成した。
わずか2年の間に5つのタイトルを奪取。ファンやマスコミの間からは天才・高倉ともてはやされた。またルックスも抜群だったことから、女性の「おっかけ」まで出現したという。またこの年の賞金王(3,743,000円)にも輝いた。しかしながら、高倉の栄光の時代は事実上ここまでであった。

たしかに、普通の老人にしては体躯が立派過ぎるし、レーサーの自転車でくるし、男前だし…しかも私生活で不遇をかこったという話まで考えると、あのお爺さんは、大宮の伝説の名選手、天才・高倉登に違いない…。

「家に帰るだろ?カミさんは寝てんだけど、ネコがおれを迎えに来るんだ…何なんだか知らねえけど、あたしはここよーって感じでさ…」

一度会った時、タカクラさんはこんな話をした。

正直、こんなデキ過ぎな話、あるわけないと未だに思ってる。だから、あのタカクラさんは、網越しに高倉登を見ていた大宮駅前の水商売の爺さんが騙ってるだけなんじゃねえか、って40%ぐらい思ってる。

 

でもね、おれはそれでもいいと思ってる。


あの、オフクロに武勇伝を語り、猫が大好きな「タカクラさん」が高倉登じゃなくたって、別にいいじゃないか。何だかわからないけど、いいじゃないか。おれと、オフクロにとっては、あのタカクラさんが大宮の伝説の競輪選手・高倉登なんだ。それでいいじゃないか。黒髪で、黒光りした肌の、ガタイのいいお爺さん、「タカクラさん」はお元気だろうか。

金網の、向こうとこっちの違いじゃねえか。(2013年9月13日)


chara - strange fruits - 1. "Atashi wa Koko yo (あたしはここよ I'm Here)This song is from Chara's Album "Strange Fruits" & It's produced by Towa Tei

 

【2020年6月追記】 タカクラさんは数年前の大宮記念の名輪会イベントにいらしていたが、ご健在のようである。