おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●文科系のためのKEIRIN入門① 「競輪新聞とは?」(2013年9月9日)

昨日のタマフル競輪特集、宇多丸が玉ちゃんと函館競輪に行って以来、そこそこの熱量で競輪を面白がっていて、その最初の食いつきが「競輪新聞という独特の面白さを持つもの」だってのがさすが文系映画好き活字好きの人だなあと思った。これ、おれも全く同じ入り方で、お好きな人には堪らないと思う。

 

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競輪新聞に掲載されている情報と言うのは、記者の予想、枠順、選手の名前、出身地、年齢、脚質(逃げか追いこみか)、過去12場所の順位、競輪独特の「並び」予想、など。ああ、じゃあ競馬のアレと同じじゃねえか、と思わないでもらいたい。ここから先があるのです。

独特なのは、「本年度獲得賞金」。その日までに稼いだ賞金があからさまに書いてある。つまりこれも予想のファクターなわけです。おれはさほど大きく見ないけど「48歳で賞金210万」とかの選手を見ると、やはりココロがざわつく。

たとえば今日の大宮10レース3番車、佐々木健司。青森所属39歳のおれと同い年。
この1月にS級から落ちてきて、現在で325万しか稼いでいない。
一方で1番車、埼玉の若手20歳、金子哲大はすでに775万稼いでいる。他の選手も平均500万は稼いでいる。
S級という上のクラスから落ちてきたわけだからそこそこ勝てるハズなのに、あまりに稼ぎが少ないのはなぜ?で、よーくみてみると、佐々木健司は「520日間欠場」と書いてある。つまりこの選手は1年半くらい稼ぎがなかったのだ。

実はこの選手、2年前に飲酒運転で死亡事故を起こしているのだね。
本来だったらそこで選手生命が終わったところだろうし、終わるつもりだったんだけど、1年以上の間を経て(なんらかの法的制裁があったのだろう)今年復活したと。
つまり、この選手が今稼いでいる325万というのは、他の選手のおカネとは重みが違うし、F2戦という最低ランクのレースの賞金(1着で10万)であったとしても、生活もそうだが、被害者への賠償だってあるだろうし、1円でも欲しいはずなのだ。

さらに佐々木選手のデータを読むと、過失事故の謹慎欠場から明けて、今年1月に降級した最初のレースが地元の青森。しかし、この一発目のレースで1着入線しながら失格して、そのまま欠場している。大きな十字架を背負い、選手を続けることすら危うい失意の1年半を過ごし、再出発の時に失格欠場。でもそこから必死で這いあがったんだろう、優勝はないけどもその後9開催のうち6開催は決勝まで残ってて、この2カ月のレースでは決勝3着入賞も2回でコンスタントに上がってきている…ところまで、競輪新聞は読めるのです。

どうですかこの行間から漂う感じ。よく言われるが、競輪が競馬と違うのは「人間がやってる」ってことに尽きるのだが、その論を使って言えば、競馬新聞の馬柱と違って、競輪新聞のそれは選手の勤務評定であり、さらには意志のありようや性格、さらには努力や運命といったものまで見えてしまう。

さらに競輪新聞には「選手コメント」という欄があるのだが…これがまた面白いんだけども、これはまたの機会に。(続く)

 

【2020年6月追記】TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』の「競輪特集」が物足りなくて書いたシリーズ。競輪の「言葉」と「心理」を媒介とするゲーム性を文科系に伝えたい思いで書いた。なんと、この後8回も長文が続く。どういう熱量だよ。