●文科系のためのKEIRIN入門② 「選手は何と闘っているのか」(2013年9月11日)
前回は「競輪新聞」の言語空間について説明しました。実は競輪新聞の持つ言語空間、言い換えれば言葉というものの価値の重さというのはこんなもんではありません。ハッキリ言えば、あの紙1枚で一晩ヒマがつぶせる程の「読み物」なのであります。これについてはまた別に。
で、本日は上記の通り、少々哲学的なお話です。選手にとっての「敵」とはなんなのか。これについて少々お話しさせて頂きます。
おいおいおい、そんなものは「他の選手」に決まっとろうが。そうでなかったら何の為に競ってんだい?と、お思いかと思います。はい、その通りでございます。たしかに、目の前で対峙すべき「敵」は他の選手であります。
しかしながら、選手たちには他の選手よりも圧倒的に立ち向かわなければならない「敵」があるのです。いや、それは敵なのか?あるいは味方なのか?災いをもたらすものでもあり、恵みを与えてくれることもある巨大な存在とでもいいましょうか。
さて、なんでしょう?
そう、「風」でございます。
選手の強靭な肉体によって加速された自転車は最高70キロともいいます。しかしながら、このスピードで走るということは、その分、真っ正面からの風の抵抗を受けるわけです。風の抵抗を切って走るということはその分の体力、脚力の消耗を意味します。
選手間での争いというのは競技として当然なのですが、それ以前に、すべての選手には「風」という巨大な存在が立ちはだかっているわけです。つまり、結局のところ選手は「風」と闘っているのです。風との戦いに勝てるくらいの脚力、これが理想なのです。
「風に抗う」…どこか宮崎駿的ロマンを感じさせるこの重要なファクターが、競輪新聞の中に書いてあるワケです。それが「脚質(戦法)」と「ライン」であります。
「脚質(戦法)」とは、「その選手がどういう勝ち方を得意とするか」ということを自ら宣言するものです。大きく分けて2種類、「逃げ」と「追込」があります。
「逃げ」とは、とにかく「先頭で突っ走って勝つ」ことを得意とする選手のことです。さらに、逃げには2種類あり、「先行」と「まくり」がありますがここではおいておきます。さっき「突っ走って勝つ」と言いましたが、何に勝つのか?そうです、「風」に勝つということなのです。
逃げの選手というのは、風圧を受けてもそれに負けない脚力を持っている選手が名乗ります。この選手はとにかく前へ前へ出て行って、風の抵抗を押しのける自信がある選手のことです。
では「追込み」とはどういう選手かというと、簡単に言えば「風には勝てない」選手です。つまり、脚力がそこまでない(タテの脚がない、といいます)選手のことです。じゃあ、逃げの選手に勝てる訳がないじゃねえか、となりますが、違うのです。
ここで、「ライン」という概念が登場します。
例を挙げます。❶❹❼が風に立ち向かえる「逃げ」、②③⑤⑥⑧⑨が風に立ち向かえない「追込み」の選手とします。
実は個人競技のように見える競輪は、「ライン」というグループを作ることで「団体戦」をやっているのです。ただし、この契約はゴール前の最終コーナーまで、という不文律があります。最後の直線はどう走ろうが自由なのです。
ラインはたとえば以下のようになります。
❶②③ ❹⑤⑥ ❼⑧⑨
つまり、風に戦いを挑める逃げ選手が先頭になり、その後ろに風に弱い追込み選手がついて並んで走るのです。このラインはくじ引きなどで決めるのではなく、同じ地域の出身者、あるいは同じ練習グループ、師弟など、選手間の話し合いで決まります。現在ではこれをレース前(前日)に競輪新聞に「コメント」で発表するのが習慣なのです。
追込み選手は風に弱い。だから、風に強い「逃げ」選手の後ろについて走る。こうすることによって、追込選手は風の抵抗を受けることなく、体力を温存したままゴール前に入ることが出来るわけです。
追込み選手はよーいドンで走ったら絶対に逃げの選手には勝てません。だから、逃げの選手の後ろに入れてもらうことで、最後の直線で勝負できるのです。つまりこれを言い換えれば、他の選手との勝負は最後の数十メートルだけで、他の2000mくらいは「風」と闘っている、ということになるのです。
おいおいちょっとまて、それじゃあ逃げの選手は損なんじゃねえか?風よけにされて利用されて、いくら脚力あってもメリットなくねえか?とお思いでしょう。ハイ、そこが「競輪は文科系向き」の所以、「競輪は風と義理人情の格闘技」なのです。
逃げの選手の後ろに入れてもらう追込み選手には、契約としてある義務が科せられます。義務というか、任務でしょうか。それは、「他のラインが追い抜いて来たら(捲り)、そのラインをブロックして妨害しなければならない」というものです。
←まくり❹⑤⑥ ❼⑧⑨
←先行❶②③
上の例で言うと❶が必死で走る、❹のラインが追い抜きにかかってきたら、②の選手は❹の選手に体当たり(ブロック)をしたりすることで、❶を抜かされないように努める「義務」があるのです。それをやってくれないことには、❶の選手としては走り損、使い捨てのブラック企業状態に陥ります。
これができない選手は、逃げ選手からも、客からも信頼を失い、結果的に地位が下がってしまうのです。つまり、追込選手とは「おれの前で風を切って逃げてくれ、その代わり、お前のことは全力で守る!」という契約を結ぶのです。おまえが風と全力で戦うために、他の選手との戦いはおれが引き受ける、という…。
どうですかこのロマン、このバディ感、『昭和残侠伝』の高倉健と池部良、『緋牡丹博徒 花札勝負』の藤純子と菅原文太、昭和自民党の田中角栄と大平正芳、アップル創成期におけるスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック、ミックとキースにキヨシローとチャボ、ルパンと次元に談志と志ん朝といった、文科系の大好物のアレを思い出すではありませんか。(続く)