おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

杏子はなぜジャンクフードを貪り食うのか?

今週末のウタマルのラジオが映画やアニメにおける食いもの描写を論ずる「フード理論」特集だが、おれとしては『まどか☆マギカのマミと杏子の「食い物」の描き方の差は、近年屈指の見事さだったと思っております。

マミの食いものはいわゆるアフタヌーンティーで、「紅茶とケーキ」という祝祭としての食事、杏子の食むジャンクフードは「死なないまじない」(志ん生)としての食いもの。これがそれぞれのキャラ造形とストーリーの中の立ち位置に見事にハマっていて素晴らしいなとおもいました。
特に杏子のジャンクフードは、彼女のキャラ造形の「ギャル感」演出の小道具に回収されるだけではもったいないと思うだよ。タイ焼きだのポッキーだの団子だのを食う彼女の演出はマジでいい。効果的な演出、ってのはこういうことを言うと思う。

とりわけ、ある重要なシーンで彼女が絶望を乗り越えるためにあるものを貪り食うシーンの演出の見事さ。声を荒げるでなく、何かを叩きつけるでなく、あるものを貪り食うことで彼女が食いものをどうとらえているかが一発でわかる。彼女にとって絶望する瞬間はいくらでもあったのに、なんで?って疑問が解けるのよ。つまり、杏子にとって食いものは「絶望しないまじない」なんだというね。で、食う、ということは祝祭面だけなく、いうまでもなくそういう側面を持ち合わせている。

しかもこの食いものが「よもや、これは出崎統オマージュか?」っていう食材だったりしてね。あの食いものの持つ象徴的な意味もこめ、名シーンだと思う。

一応、おれの「フード理論」に基づく見立てでは、『カラフル』のお母さんの作る「ケチャップのハンバーグ」に、ケチャップっていう何の工夫もないあたりに彼女の弱さが出ている。ケチャップって何だよ。デミグラスたぁいわねえが、ウスターソースと混ぜるとかもうちっと工夫しろ。