おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●ドラマ『祭ばやしが聞こえる』、あるいは「落車」論(2016年9月20日)

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ショーケン演じる28歳の競輪選手「まくりの直次郎」こと沖直次郎は将来を嘱望される競輪選手だったが、ある日のレースで落車して重傷を負って長期欠場となり、先輩のマーク屋・高橋(山崎努)の実家である富士吉田の民宿に逗留しながらリハビリ生活を始める。そこで出会った高橋の妹で女一人で民宿を切り盛りする同い年のキク(いしだあゆみ)と出会い、惹かれあっていく…。

 

1978年のドラマ『祭りばやしが聞こえる』。
和製ソウルの名曲として有名な柳ジョージ&レイニーウッドの主題歌は音楽好きなら耳にしたことがあるかもしれない。(本当はドラマの主題歌のシングル版がいいのだがなかった。尚、ショーケン版もいい)

 


祭りばやしが聞こえる - 柳ジョージ

 

萩原健一の自伝『ショーケン』によれば「あれは失敗だったんだよなあ」とのことで、ショーケンの作品群の中で名作として指折られることもあまりなく、再放送もほとんどなく、ソフト化もされていない。

 

物語はラブストーリーであり、人間ドラマであり、古き良き日本の田舎の人情話。本当はこのドラマ、ショーケンアル・パチーノの『ボビー・デアフィールド』を見て、レーサーの設定でやりたかったんだけど予算の関係で競輪選手にした、と前述の自伝で言っている。しかし、このドラマが傑作だと思うのは、「競輪選手」と「競輪」という競技でなければ成り立たないテーマに貫かれているという点なのです。

  

このドラマは「落車」を巡る物語なのだ。

 

落車というのはほんの一瞬の出来事で、そのコンマ何秒前までは順調なのです。ただ、その一瞬の「魔」で全てが暗転してしまう。

軽症の場合もあるけれど、直次郎の場合は選手生命が危ぶまれるほどの重症。実際、復帰を諦めかけたりもする。復帰したとしてもかつての脚力は落ちているだろうし、また落車したら…と映像的にも落車シーンがフラッシュバックされる。

競輪で落車が起きると、当然接触した選手を対象に審議が行われるのだけれど、あからさまな反則でない限り、お決まりのアナウンスがある。

「2番選手の落車について審議いたしましたが、選手それぞれの動きの中で起こったもので、3番選手は失格とはなりません」

レースを走る選手は、勝つために精一杯のコース取りをしている。1番選手の意志があり、2番選手にも意志があり、3番選手にも意志があって、それぞれがそれぞれを走った結果の連鎖で落車が起きる場合がほとんどなんですね。

直次郎の落車も、映像を見る限りにおいては故意のものではなくて、他の選手との競り合いの中でたまたまある選手に接触してしまっただけ。まさに審議放送の「それぞれの動きの中で」起こった落車がほとんどなのだ。

 

物語の終盤。

紆余曲折あったが復帰を決意し、直次郎は立川で復帰戦を迎える。その復帰戦には直次郎の落車の原因となった選手(小林稔侍)がいて、宿舎でまるで弁解するかのようにナーバスに直次郎に絡んでくる。

2日目の準決勝、直次郎の後ろがもつれて大量落車するも1着になる。落車して傷つく辛さを人一倍知っているハズの自分が、今度は落車をさせる側になってしまう。

 

タンカで運ばれる負傷した選手。
直次郎は誰もいなくなったバンクを一人で呆然と眺める…
直次郎は覚悟を決めて必死の思いで復帰して、勝ちにいくレースをしたにすぎない。

 

これを「人生」ってものに置き換えてみると、この世に生きている限りにおいて、こういう「落車」はどうしたってつきまとうものだと思うのです。

そりゃ、誰も傷つけたくないし、誰からも傷つけられたくはない。直次郎のように、自分が傷ついたからこそ、誰も傷つけたくないと思うのが人情というもの。

それでも人生とは、世界とは、自分が直接傷つけようとしなくても、「それぞれの動きの中で」誰かを落車させてしまう(傷つけてしまう)ことがあるのが、この世界というものなんだと。

我々の生活でいえば、「おれのiPhoneは途上国の子供が作ってるんだよな…」とか、「このエロ動画のコはホスト遊びで借金を抱えてたのかな…」とか…(って、もう少しマシな例えはないのかオイ)

主人公のナオが落車して傷つき、それを悔い、怖れているのと同じように、出てくる人間がみんなそれぞれ人生の中で「落車」をしていて、悔い、怖れているのだと。

つまり「落車」っていうのを、人生に起こる「魔」…つまり、失敗であり、挫折であり、あるいは不運であり、不幸であり、災厄の「象徴」として描かれているのです。

 

だからって、そういう境遇に寄り添い続けるのは時間的空間的経済的にも無理というものであって、後ろで落車があっての1着も受け入れるしかない。唇に苦い味を覚えながら、翌日のレースを走るしかない。そんなことの連続だったりする。

 

それでも、ジャンは鳴る。

 

直次郎は無人のバンクを見ながら何を思ったのだろう。
もしかすると、落車「させた」者の傷というものを感じていたのかもしれない。傷ついていたのは、おれだけじゃないのかもしれない、と。

 

人生ってのはつくづく甘苦いもんだな、としみじみ思うのです。

 

他にも、「先行選手が追い込みに転向すること」に象徴される「青春の終わり」の描き方や、「トップ引き」(自らの「可能性」を閉じた人間)であっても走り続けるロートルの選手の生き様、など、おれが今まで見てきたスポーツをモチーフにした作品の中で、その競技の特質をここまで物語として昇華させた作品として、『レイジング・ブル』『ナチュラル』『カリフォルニア・ドールズ』、あるいは『ちはやふる』に並ぶ傑作だと思います。

 

45分×26話、となかなか時間を取る作品ではありますが、何かの機会でぜひ。

 

(2016年9月20日) 

 

ショーケン

ショーケン

  • 作者:萩原 健一
  • 発売日: 2008/03/14
  • メディア: 単行本
 

 

カリフォルニア・ドールズ [DVD]

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  • 発売日: 2015/12/16
  • メディア: DVD
 

 

 

【2020年6月の追記】ショーケンは死んだ。最終回の立川競輪でのレースのシーンの美しさ、あと常田富士男演じる競輪ファンのインチキ予想師の回はマジで泣く。落車といえば『ギャンブルレーサー』でも印象的に描かれていた。