おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●デジカメ時代の心霊写真(2012年8月12日)

夏と言えば怖い話、怖い話と言えば心霊写真ですが、昔「デジカメの時代に心霊写真は生き残れるのか?」って思ったことがある。フィルムの時代の写真と言うのは光を現像するワケで、霊的なものが写りこむことはボンヤリと納得がいく。でも、デジカメは風景をデータにするわけで、霊魂がキロバイト換算されるってのがどうにも納得がいかない。


そもそもオカルトを信じているわけではないんだが(神や魂のようなものは信じる…というか自分の中で「規定している」)、心霊写真っていうものの説得力は見事だったと思う。まず第一に、霊が写りこむ契機が2回あるということ。撮影した瞬間と現像した瞬間。さらにそれらを顕在化させるものが「光」であるということ。そしてもう一つ、「そもそも写真は怖い」という漠然とした心理に見事に付け込んでいる。

フィルムでの写真は撮ったものと現像されたものがまったく違うこともあるわけで、そこに横たわる「観念」としての風景と、実際の仕上がった写真の差異。この特性が「心霊写真」の説得力をかなり強化していると思うのです。

今目の前に見えているものと違うものが写真になって複製される可能性がある、という性質。これすなわち、目に見えないものが見えてしまうことだってあろうよ、ということに持っていきやすい。

一方昨今のデジカメ時代は、あらかじめどういう写真になるかわかるし、風景をフィルムに取り込むのではなくてデータとして保管してるだけ。紙焼きもデータのプリントアウト。こうなってくると、霊がどういう風に身を処して姿を現すのかの想像がつかない。自殺者の霊がデータに変換されて、色分解されて、ボンヤリとエフェクトかけて、それで現れるってか?と。「光」という原始的な媒介がない(目立たない)からどうにもならない。霊も生きにくい世の中になったもんだ。(2012年8月12日)

 

【2020年6月の追記】

ベンヤミンが複製芸術のことを論じているが、別にこれを意識したわけではない。多分酔っ払って思いつきで書いて興が乗っただけ。