おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●賭け麻雀と『2時のロードショー』(2018年3月6日)

フリー雀荘での絶対のマナーとして「他者のアガリの批判は絶対にしない」というのがある。

セットで気心知れた連中なんかとやる時は「んだよそのクソリーチはよう」なんて言いながらやったりするのが楽しいんだが、フリー雀荘というのは知らない人と打つので、「なんだそれ」的なことを言うのはトラブルの元。

あと、賭け麻雀は「勝ったものが正義」なのであって、負けた者がつべこべ言うのは盆面(ぼんづら)が悪い、という日本古来の博徒の美意識もあるように思う。

で、大宮のおれのホーム雀荘も当然アガリ批判は厳禁で、する人はいないのだけれど、逆に麻雀に対してストイックで真摯な人が多いので、局が終わるたびに自分の打牌と他人の打牌を見て「批評」する人は結構いる。自分よりも年上の壮年くらいの方ばかりなんだが、彼ら、局が終わるたびに「批評」をする。

あと、「批評」をするのは若い衆だ。「いやー、おれ字牌待ちだっておもったんすよー」とか、「回し打ち成功っすよー」とか、振り込んだ瞬間に「ですよねえ」とか言ったりする。多分麻雀が一番面白い時期なんだろうし、おれも覚えがあるが、麻雀の読みの体系がわかるようになると言いたくなるんだよね…。

ほら、大学あたりで単館上映のヨーロッパ映画(カサヴェテスとかクストリッツァとかタルコフスキーとか)見始めた頃とかになんか語りたくなるのと同じやね。

で、おれはそういう時、「ほー、そうですかー」などと言って大抵無視している。悪気はないことはわかってるんだけど、「おれはわかってるぜ」アピールは、麻雀に限らず好きじゃないんだよね。

これもまあ微妙なところで、「おれは気づいたぞ」っていう言い方だと別にいいのです。「あの時の手出し4ピン切りで1ピンとのスライドかなと思ったんですよね」っていうならいいの。だったら「いやー、見抜かれましたねえ」なんて言ってしまう。

単純に言い方かもしれないけれど「だよねえ、スライドだよねえ、序盤に切ってる4ピン手出しだもんねえ」とかいう言い方がイヤなんだよおれはよう。

ってか、そんなことをいちいち言う必要はねえだろとおもうんだが、「批判」よりも「批評」がおれはイヤな人間なんだと気づいた。

「批判」だったら「すいませんねえ、ヘタなもんで」だの「いやいや、トリッキーに打たないと皆さんには勝てませんから」とか言えば済む。実際、池袋の雀荘の名物爺ちゃん(ジェームス・ブラウンのような髪型をしている)によく批判されるんだけど、全然不愉快じゃない。「いやあ、ドラが乗っちゃったんすよー」なんて言ったら気に入られて、こないだお土産のもみじ饅頭もらった(笑)

二流の「批評」というのは、「自分がいかにわかっていたか」しか言っていないのだよ。「優位性」を披瀝してるだけだから、「で?アガったのはおれですが何か?」としか言えない。要はオタクの言語空間なんだよね。

麻雀というのは結果よりも思考過程が大事とはいえ、「優位性」を競うものではなく「点数」を競うものである以上、優位性によるマウンティング(?)なんざ、クソの役にも立たない。

半荘終わってタバコ吸いながらの感想戦なら大いにやるところだけれど、ヘタすりゃそういう連中は局中にウンチク言い出すから始末が悪い。「あー、そうなったらこれしかねえや、リーチ!」とか「うるせえよ!」と思ってしまうのだ。

しかも、おれの手牌について、おれでなく店のメンバーに批評するとかって実に失礼な態度だと思う…聞いてるか、おれの地獄西タンキに打ち込んで「地獄待ちはリスクが高いから多用しないほうがいいんだよ」とか若いメンバーにウンチク言ってたジジイてめーだ!

で、経験上、強い人ほどそういうことを言わない。黙って打っている。

おれが一番好きな常連のヒロさんという方がいるのだが、この方と対戦すると本当に緊迫感があって、読み合って、真剣に打てる。そして、終わった後に示し合わせたように喫煙所に行って、感想戦をする。ただ、その時も細かい打ち筋ではなくて大局観の話をする。オーラスで押すべきだったかどうか、とか。対局中は何の御託も並べないのだが打ち筋見てると本当に巧みで、熟練というか、一打一打に意味が感じられるのです。

他にも何人か黙々と打って感想戦ができる方がいらっしゃるのだけれど、共通しているのはみんな「賭け麻雀のフリーで打っていた人」なんだよな。おれもそうなんだけど、オンレートフリーで打っていた人は余計なウンチクとか御託を並べない。「優位性」自慢なんぞクソの役にも立たないことを知ってるし、「勝って金かっぱいだヤツが正義」っていう場に少なからずいたから。

ネット麻雀から入ってきた若い衆や、ノーレート競技麻雀に真面目に取り組んできた壮年の方々のほうが「批評」をする。まあ、麻雀というものに対する見方が全然違うので当たり前っちゃあ当たり前なんだが。

で、急に話は飛ぶのだけれど、これって以前tkskくんと話した「映画を「娯楽」として見ていた人と、「教養」として見ていた人の違い」に似てる気がする。

やっぱりおれは、『2時のロードショー』育ちであり、『ゴールデン洋画劇場』育ちであり、スキあらば『続・青い体験』とか『グローイングアップ』とか見てやろうと思ってた育ちなので「娯楽」派なんだなあ。

だから、麻雀についてもおれは結局「賭け麻雀」育ちなんで、「余計なこと言わない」というのも賭け麻雀の美意識なのかなと思う。

これは世代と環境だから仕方ない。だから、ノーレート育ち(教養派)を悪く言っちゃうのもナンだなと思いながら、おれは4月からのGPC東京リーグに向けてトレーニングを続けていこうと思う春です。無駄に長くなっちまったなあ…(2018年3月6日)

 

【2020年6月の追記】

その後、GPCには参加していない。ついでに、おれの麻雀は競技派の気を逆撫でする打ち方らしく、すっかり雀荘ではヒールである。