おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●映画『ムーンライト』(2017年12月24日)

この作品、とにかく映像的に美しい。それは実は映画技術として極めて実験的な最新のワザを使っているとのことなのだがその説明は置いておく。とにかく、光と影、アフリカ系の肌の色の美しさ、マイアミの太陽と海の美しさ。色調のベースは青なんだが、とにかく美しい。

 

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ハッキリ言えばこの話、実に悲惨なんだ。主人公の彼は「よくぞまあここまで不幸背負ったもんだね!あっぱれ!」って感じ。どうにも辛い。辛いんだけど、彼の生きる世界の描かれ方は実に美しい。

オフクロはヤク中で、虐待を受けていて、当然貧乏で、虐められていて、孤独で、しかもゲイという、社会的にどうにも手詰まりな彼が見る世界は本来は灰色なハズなんだけど、映し出す世界の美しさときたら…実写映画でこれほど映像的に美しい映画は少ないと思う。

「灰色の世界」なんて言い方があるけど、映像は全く逆で、彼の生きる「灰色の世界」が、見事な色彩で美しく撮られている。

この「対位法」とも言うべき手法を作り手が使った意味というものを考えてみると、「それでも、世界は美しいんじゃないか?つーか、美しいっておれは思いたい…」っていう、主人公の心の叫びを表現しているんじゃないかって思うのだよね。

それを思った時に、『息もできない』以来の「実存的な涙」が出てしまったんだよな(文芸坐近くの博多天神でキクラゲラーメン食いながらw)。

おれは黒人でもないしゲイでもないし、虐められっ子でもないしオフクロは優しい。幸い友達も複数いてくれるし、麻薬にも手を出さずに(?)生きてる。孤独なようで孤独でないような、でもやっぱり孤独なのか、まあ、そこらへんはボンヤリさせておく。

何度となく「世界」が灰色に見えたことがある。

というか、おれの見ている世界は、もしかするとおれの間尺なりに灰色なのかもしれない。それはおれに限った話じゃない。誰だって、そんな風に思うと思う。

それでも、世界は美しいと思うんだよね。

世界は救いのないものであるかもしれない。けれど、おれの目に映る美しいもの…それは大宮であるし佐世保であるし、愛する人々であるし、麻雀牌であるし、競輪場であるし、雀荘であるし、海であるし月であるし、音楽であるし映画であるし池袋であるし、それらはやはり「美しい」んだ。言葉足らずは承知の上。そうとしか言えないんだもの。

そして、それは太陽の光に照らされなくていい。月の光で十分だ。黒いものが、月の光でほんのり青く美しく光る瞬間のために、おれは生きている…なんてね。照れくさいねどーも。

しかし、それにしても、この映画、淀川長治先生と立川談志家元に見て欲しかったと思う。

何はともあれ、メリー・クリスマス。(2017年12月24日)

 

 

【2020年6月の追記】 折にふれて思い出す映画だ。