おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●郷愁(2013年3月5日)

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大宮競輪場にて



おれのオヤジはおれのような趣味的でない、真のバクチ好きなので、当然大宮競輪場にも通っていた。だから、中野、井上、滝沢なんて名前はなぜか知っていた。

その頃の競輪場ってのはものすごく盛っていて、競輪開催日の夕方はおれんちの裏の道がオケラ街道になり、まー柄の良くない男たちがゾロゾロと歩いていた。おれの小学校では競輪開催日は「外に出るな」と言われたものだが、なんたって自分ちの裏がオケラ街道なんだから仕方ない(一度、負けたおっさんに小銭を投げつけられた)。

一度オヤジが競輪場で知り合ったおっさんを連れて帰ってきて酒盛り始めて、気づくと喧嘩になっててオヤジがそのおっさんにヘッドロックかけてるのを見ておれが泣き出し、おふくろと家を出てその当時大宮駅前に開店したばかりのケンタッキーで嗚咽混じりでフライドチキンを食った。
もうね、書いてて西原理恵子的に泣けてくるね(笑)

郷愁ってものを考えてみるとき、多分おれにとっては大宮競輪場のようなゴツいコンクリートの建物と、そこにたかるダメな大人たちと、赤いネオンなんだろうな、と思う。山や川と素朴な人々ではなく、ジブリ田園都市と上品な大人たちでなく、あの薄汚いコンクリートと薄汚い酔っ払いたちなんだなと思う。

大宮競輪場に行って、かつては賑わっていたであろうスタンドと、使われなくなった発券所を通り過ぎる時のなんとも言えない気分は、郷愁なんだなと思う。

そしてそこにいる爺さんたちは、きっとあのころおれんちの裏の道をイライラしながら歩いていたんだなと思うと、何だか、田舎の人が帰省した時にふるさとの大自然に包まれた時のような気分というのはこういう感じなのかな、と思う。(2013年3月5日)

 

【2020年6月追記】未だに大宮競輪場はあの佇まいを保持しているが、バックスタンドのトッカン席は閉鎖された。