おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●文科系のためのKEIRIN入門① 「競輪新聞とは?」(2013年9月9日)

昨日のタマフル競輪特集、宇多丸が玉ちゃんと函館競輪に行って以来、そこそこの熱量で競輪を面白がっていて、その最初の食いつきが「競輪新聞という独特の面白さを持つもの」だってのがさすが文系映画好き活字好きの人だなあと思った。これ、おれも全く同じ入り方で、お好きな人には堪らないと思う。

 

f:id:take-zo:20200625160826j:plain

 

競輪新聞に掲載されている情報と言うのは、記者の予想、枠順、選手の名前、出身地、年齢、脚質(逃げか追いこみか)、過去12場所の順位、競輪独特の「並び」予想、など。ああ、じゃあ競馬のアレと同じじゃねえか、と思わないでもらいたい。ここから先があるのです。

独特なのは、「本年度獲得賞金」。その日までに稼いだ賞金があからさまに書いてある。つまりこれも予想のファクターなわけです。おれはさほど大きく見ないけど「48歳で賞金210万」とかの選手を見ると、やはりココロがざわつく。

たとえば今日の大宮10レース3番車、佐々木健司。青森所属39歳のおれと同い年。
この1月にS級から落ちてきて、現在で325万しか稼いでいない。
一方で1番車、埼玉の若手20歳、金子哲大はすでに775万稼いでいる。他の選手も平均500万は稼いでいる。
S級という上のクラスから落ちてきたわけだからそこそこ勝てるハズなのに、あまりに稼ぎが少ないのはなぜ?で、よーくみてみると、佐々木健司は「520日間欠場」と書いてある。つまりこの選手は1年半くらい稼ぎがなかったのだ。

実はこの選手、2年前に飲酒運転で死亡事故を起こしているのだね。
本来だったらそこで選手生命が終わったところだろうし、終わるつもりだったんだけど、1年以上の間を経て(なんらかの法的制裁があったのだろう)今年復活したと。
つまり、この選手が今稼いでいる325万というのは、他の選手のおカネとは重みが違うし、F2戦という最低ランクのレースの賞金(1着で10万)であったとしても、生活もそうだが、被害者への賠償だってあるだろうし、1円でも欲しいはずなのだ。

さらに佐々木選手のデータを読むと、過失事故の謹慎欠場から明けて、今年1月に降級した最初のレースが地元の青森。しかし、この一発目のレースで1着入線しながら失格して、そのまま欠場している。大きな十字架を背負い、選手を続けることすら危うい失意の1年半を過ごし、再出発の時に失格欠場。でもそこから必死で這いあがったんだろう、優勝はないけどもその後9開催のうち6開催は決勝まで残ってて、この2カ月のレースでは決勝3着入賞も2回でコンスタントに上がってきている…ところまで、競輪新聞は読めるのです。

どうですかこの行間から漂う感じ。よく言われるが、競輪が競馬と違うのは「人間がやってる」ってことに尽きるのだが、その論を使って言えば、競馬新聞の馬柱と違って、競輪新聞のそれは選手の勤務評定であり、さらには意志のありようや性格、さらには努力や運命といったものまで見えてしまう。

さらに競輪新聞には「選手コメント」という欄があるのだが…これがまた面白いんだけども、これはまたの機会に。(続く)

 

【2020年6月追記】TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』の「競輪特集」が物足りなくて書いたシリーズ。競輪の「言葉」と「心理」を媒介とするゲーム性を文科系に伝えたい思いで書いた。なんと、この後8回も長文が続く。どういう熱量だよ。

●「美人画」と「萌え絵」(2013年10月3日)

f:id:take-zo:20200623152147j:plain

 

さっき、弓月光デザインのガールズ競輪ユニフォームの女イラストがいいと写真をシェアしたんだけれども、いわゆるアニメ好きの人の「二次元萌え」ってヤツとか、「萌え絵」ってのは相変わらず分からないでいる。

まあ何しろ、まともにアニメと向き合ったのが30過ぎからなので、「萌え」な感性を受けやすい時期にそういうものを知らなかった、というのは大きいのかもしれない。とはいえおれだって普通の男なので、美人の写真や絵は好きだ(でもまあ、昔から「アイドルの写真集」とかを買う意味がわからない、というおれの中での大きな疑問はあるのだが)。

というか、なんとも形容し難いのだけれども、一番メジャーどこで言えば『エヴァ』や『まどマギ』なんか見てると、それが女性というよりも「デザイン」に見えてしまうというか、絵という感じがしないんですな。綾波レイでも暁美ほむらでも、美少女というよりも「キャッチーなデザイン」として見てしまうような錯覚に陥る。
だからといって悪いというワケでは全然なくて、デザインとして可愛いし、美しいからなんんの文句もないのだが、まさに「キャラクター」なんだと思う感じで、たとえばバイクや自転車のデザインの美しさを見るようなのと近い。美少女という「機能美」のデザインとしてスゴくいいと思う。

前に職場の若い衆にすすめられた『侵略イカ娘』っていう、1枚だけ見て「見てらんねえ」と思ったアニメがあったのだが、それでも主人公のイカの化身である美少女(って何なんだよ…)の造形には少し感心して、イカをこういう風に擬人化するデザインはセンスあんな、と思った。やっぱりデザインなんだろうと思う。

一方で、さっきの弓月光のヤツなんかは文字通りの意味での「美人画」を見るような感じで、「魅力的な女性の絵」であり「いい女だな」であると認識するので、たとえばiPhoneのバックグラウンド画像などにしてもいいかなと思う…ちょっと思い出したのは山本直樹の描く女で、山本直樹の描く女性というのはヤケに生々しい。浮世絵の月岡芳年の描く残酷に殺される女みたいな感じで、「美人画」というよりも「責め絵」のような感じだろうか。

弓月光山本直樹あるいは江口寿史なんかの「美人画」の巨匠の絵のタッチを考えてみると、顔以上に体のラインを描くのがスゴく丁寧だと思うのですね。さっきのガールズ競輪の絵もそうだけど、お腹から下のラインなんかの精密さってのがスゴい。レーサーパンツのシワの位置と入り方が、肉体との物理的な作用で入ってるな、ってのがわかる。
つまりですね、「線」がちゃんと生きてるということなんじゃないか。
実際の人間を見た時に、「線」は認識しされない。顔の輪郭をスミの線で認識することはない。ということは、絵ならではの表現はこの「線」にあるのではないかとおもうのであります。

一方で、「萌え絵」というのを色々見直してみると、この輪郭線(特に顔の)があまりハッキリしてない場合が多い気がする。だけど、黒髪で、目が大きくて、口は小さくて、胸は大きくて、ウエストは細くて、脚は長くて、というような美少女の「機能美」だけはキチンと描かれると。なるほどこれを思想家の東浩紀(たまにスゲえいいこと言うデブ)は「動物化」だとか「データベース化」だとか言っていたのかと今さら感じたりするのだが、そういう機能美に対して「萌え(欲情)」することはあったっておかしくはないよな、という理解はする段階までは来た。

ところで、もうすぐ劇場版が公開されるが、『まどマギ』について言えば、おれは見ているうちに登場人物が「美少女」であることをまったく考えずに見て盛り上がっていた。物語の推進力と、キャラではなく絵コンテが見事で、構成が巧いこともあり、それこそ東映ヤクザ映画を見るような感じで見てしまった。クライマックスでほむらが「ワルプルギスの夜」と戦うシーンを「高倉健だねえ、道行きだねえ、いよっ!ほむら!」などと昭和残侠伝を見るように(これがまた不思議なもんで、藤純子の『緋牡丹博徒』や梶芽衣子の『女囚さそり』『修羅雪姫』のような「美少女戦士」ものの傑作もあるというのに、『まどマギ』の場合は高倉健だったんだよな、おれは)。

しかし…実際これについてはtkskくんとの話の中からかなり指摘を受けたんだが…冷静になってみれば、あそこに出て来る子らは「美少女」なのであって、美少女が戦う物語なのだということを横においてしまうと、それが自分にとって大事な主題であるかどうかはさておき、某かの主題を置き去りにしてしまう可能性を孕んでしまう。やはりあの作品は戦っているのが女性であるということは大事なことなのであって、そこを「ああ、やっぱり髪がピンクの子とか出て来るんだね…」という処理をして、ストーリーの妙だけを見ているというのは片手落ちとまでは言わないまでも、何かの手がかりを見落としてしまうことになるのかなあ、と思う。

相変わらず話がとっちらかって長くなってしまったけれど、何にせよ作品であることは確かなのだから、いわゆる「萌え絵」であったとしても、年寄りのグチのように「こんなもん見て喜んでてしょうがねえな」などと言わず、ちゃんと見ないとイケナイなと思う。

まあ、それはアニメに限った話ではなく「古き名作にあったオフビートな肌合いが今のものにはない」だとか「今の音楽には情念がない」だとか「人の手触りがない」だとか「悲しみを描いていない」といったようなことを言わず、今のものには今の形で、軽く見えるものは軽い表現で、それぞれ何かを伝えようとしているのだから、軽々に今のものを「昔の○○に比べたら」式に言うのは慎重にしないとイカンね、と思うワケです。

ま、そもそも「昔の○○」だって、その前の人にはそんな風に言われてたんじゃないか、と思うんだよな。(2013年10月3日)

 

【2020年6月追記】もはや、ガールズ競輪は当たり前の風景になった。買わないけど。

●あたしはここよ(2013年9月13日)

オフクロが履物屋の店を閉めてかれこれ10年近くになる。

大宮の駅前で履物屋をやっていた婆ちゃんの遺志をついで、オフクロが家計のタシにやっていた。末期はクリーニングの取り次ぎもやっていたので、駅前のホストやら、キャバのシングルマザーの女やら、独居老人やら、日能研に通ってる小生意気なガキやら、色々な人がやってきてはくっちゃべって帰る、というまったくもって経済効率の悪い店だったが、閉店するときにホストや水商売の連中が「お母さん、閉めちゃうんだって?」なんて挨拶に来たり、日能研のガキがチョコレート持ってきたり…その時のオフクロの感激ぶりが印象に残っている。

「嬉しいわー、やっぱりウチは街で生きてきたね」なんつって。映画『スモーク』を字で行く感じがして誇らしくもあり。

 

その頃の常連さんにタカクラさんというお爺さんがいた。
おれは何度かしか会ったことがないのだが、お爺さんといっても体躯は大きく黒髪で、肌の色つやもいいお爺さん。レーサーの自転車に乗って、店にやってきてはオフクロとくっちゃべって、適当な洗い物を投げてサンダルを買って帰る常連さん。

駅前で小料理屋をやっていて、奥さんとはずいぶん前に別れて、今は新しい「ツレ」と、猫と一緒に暮らしてるお爺さん。

「おれ、競輪選手だったんだよ」とタカクラさんが言ったのは店に来るようになって何度目かのころだったそうだ。


「あの頃はさ…九州の歯医者が麻雀のメンツが足りねえからって呼ばれて、レースの後に飛行機で行ってさ…」
「大宮北中の校門って、おれが寄付したんだよな…」
京マチ子とさ…」

へぇー、そんな人がいるんだねえ、カッコいいねえ、なんて当時競輪をあまりやってなかったおれは聞いていた。

ある時、競輪ファンでも名高い阿佐田哲也のエッセイを読んでたらこんなタイトルの小文があった。

『がんばれ高倉登』

えっ?と思った。
内容は「大宮競輪で一世風靡した高倉登が事業に失敗して今苦境にあるらしい…」
読んだ当時ですで20年近く前の文章だけれども、えっ?あのタカクラさん?マジ?と、思ってウィキペディアで調べてみると、

天才・高倉1951年8月、ホームバンクの大宮競輪場で開催された第1回全国都道府県対抗争覇競輪(全国都道府県選抜競輪)の6000メートル競走で初の特別競輪(現在のGI)制覇を果たし、同年10月に大阪中央競輪場で開催された第5回全国争覇競輪(日本選手権競輪)では、1着入線の高橋恒の失格による繰り上がりながらも優勝を果たす。ちなみにこの当時、高倉は18歳であったが、現在もなお日本選手権競輪における最年少優勝記録を保持している。
翌1952年、高倉は更なる快進撃を続ける。同年5月に開催された第6回全国争覇競輪(川崎競輪場)では完全優勝を果たし、同大会の連覇を達成。続く6月に開催された高松宮同妃賜杯高松宮記念杯競輪)でも完全優勝を果たした。そして、続く8月に福岡競輪場で開催された第3回全国都道府県対抗争覇競輪6000メートル競走でも優勝を果たし、史上初の特別競輪3連覇を達成した。
わずか2年の間に5つのタイトルを奪取。ファンやマスコミの間からは天才・高倉ともてはやされた。またルックスも抜群だったことから、女性の「おっかけ」まで出現したという。またこの年の賞金王(3,743,000円)にも輝いた。しかしながら、高倉の栄光の時代は事実上ここまでであった。

たしかに、普通の老人にしては体躯が立派過ぎるし、レーサーの自転車でくるし、男前だし…しかも私生活で不遇をかこったという話まで考えると、あのお爺さんは、大宮の伝説の名選手、天才・高倉登に違いない…。

「家に帰るだろ?カミさんは寝てんだけど、ネコがおれを迎えに来るんだ…何なんだか知らねえけど、あたしはここよーって感じでさ…」

一度会った時、タカクラさんはこんな話をした。

正直、こんなデキ過ぎな話、あるわけないと未だに思ってる。だから、あのタカクラさんは、網越しに高倉登を見ていた大宮駅前の水商売の爺さんが騙ってるだけなんじゃねえか、って40%ぐらい思ってる。

 

でもね、おれはそれでもいいと思ってる。


あの、オフクロに武勇伝を語り、猫が大好きな「タカクラさん」が高倉登じゃなくたって、別にいいじゃないか。何だかわからないけど、いいじゃないか。おれと、オフクロにとっては、あのタカクラさんが大宮の伝説の競輪選手・高倉登なんだ。それでいいじゃないか。黒髪で、黒光りした肌の、ガタイのいいお爺さん、「タカクラさん」はお元気だろうか。

金網の、向こうとこっちの違いじゃねえか。(2013年9月13日)


chara - strange fruits - 1. "Atashi wa Koko yo (あたしはここよ I'm Here)This song is from Chara's Album "Strange Fruits" & It's produced by Towa Tei

 

【2020年6月追記】 タカクラさんは数年前の大宮記念の名輪会イベントにいらしていたが、ご健在のようである。

●旅と、殿山泰司と、『あまちゃん』と。(2016年4月16日)

 

九州から帰ってはや1週間。ゴボ天うどん食いたくて食いたくて震える(西野カナ)なおれです。

ところでおれの旅のバイブルのような本が3冊ありまして…

一つは何度となく書いているけれど山口瞳の『草競馬流浪記』。
1980年代バブル前夜の日本の、滅びゆく地方競馬場を巡る旅打ち文学のクラシックであり最高峰。もう、何度読んだか知らないが、華やかな東京の一流文化人である山口瞳が、寂れた競馬場と地方都市を、愛情と隠しきれない侮蔑の目で(笑)描く筆致が独特の味わい。「この街には競馬場がある、ではなくて、この街は競馬場のある街、なんだ」という切り口が好きなのです。おれの場合は競輪だけど、「競輪場のある街」弥彦、静岡、四日市、玉野、高知、佐世保、久留米と巡っているのです。

二つ目は山口瞳のライバル(?)である開高健の『オーパ!』であります。これは山口瞳の逆で、超一流の釣竿とカメラマンと料理人を連れてやれアマゾンやアラスカだモンゴルだと釣りをしに行くという…きっと今頃団塊世代が憧れまくって年金無駄遣いしてんだろうと思うと払う気も失せるというものだ。でも、やっぱり最高で、とにかくスケールがデカくて、シャレてて、文章が美しい。戸惑い気味につぶやくような山口瞳と対照的。 

【電子特別版】オーパ! (集英社文庫)

【電子特別版】オーパ! (集英社文庫)

 

ちょいと文学論になるのだが、山口瞳は明らかに開高健を意識していたと思う。開高健ベトナム戦記だアマゾン紀行だ幻の魚イトウを追う、といった広角レンズの視野に対して、元野球選手の開いた居酒屋の物語(『居酒屋兆治』)だの地方競馬だのに向かったこの単焦点レンズのような山口瞳の視野。カメラで例えれば、単焦点の方がレンズは明るい…と信じて山口瞳は日本を歩いた。このサントリー出身の二人の作家のコントラストというのは本当に面白い。

 

そして「三文役者」の登場です。殿山泰司『三文役者のニッポンひとり旅』。と、いうか殿山泰司の作品すべて、とも言える。つーか、おれの人生レベルでも相当デカい「作家」なのだけれど。

まあ、正直言うとこれが一番おれの味わう「旅」の持つ味わいに近い。だっておれ身の回りの世話してくれる担当編集者いねえし一流料理人いねえし釣りやらねえし一流旅館泊まらねえしマジ一人だし。

半ば「好色キャラ」に乗ってるんだろうけど、「徳島の女は阿波踊りで腰を使ってるから…」だのを「タイちゃん節」で書き散らしているんだけど、おれが殿山泰司の旅コラムで一番共感するところは、「街っ子のふるさと探し」の感覚を覚えるから…であります。もっと具体的に言うと、「方言アコガレ」と言いましょうか。

殿山泰司の「オッチャンナニイッテルノ」だの「キャンキャンと泣けるわぁ」だのといった独特の「タイちゃん節」は、東京でも下町ではなく銀座育ち(確か生まれは神戸だけど)のタイちゃんが思う「おれの心の中にある故郷の方言」なんだと思うのです。人工言語としての方言。

アレだ、『あまちゃん』で東京生まれのアキちゃんが三陸に馴染んで、「じぇじぇ」だの人工言語としての方言を使うことに近いと思う。

そういえば今回佐世保に行っておれがあまりに佐世保に馴染んだもんで、地元ガイドに「正直佐世保戻って退屈だったんだけど、タケちゃんが面白がってるの聞いて改めて好きになってきた」と言われたんで、『あまちゃん』好きとしては冥利に尽きるというかね、まあ同じ「天野」だしね…結局、ふるさと探しなんだよなあ…オッチャンナニイッテルノ、阿呆!(2016年4月16日)

 

【2020年6月追記】その後、佐世保を訪れたときに御年97歳の名物お婆ちゃんの経営する飲み屋で朝まで飲んだ。その店も数年前に閉店された。

●山口瞳『草競馬流浪記』(2014年11月16日)

 

草競馬流浪記 (新潮文庫)

草競馬流浪記 (新潮文庫)

 

 

何度となく書いているのだけれど、この本はおれの中でバイブル的に好きな作品であります。昭和の文壇の香りがする最後の世代の作家である山口瞳が、全国の地方競馬場をすべて巡るといういわゆる「旅打ち」の随筆です。

あれ、おまいは競輪じゃないのかい?と言われるかもしれないんだけれど、この作品は「旅打ち文学」としても楽しめるのだけれども、自分の場合ちょっと違うのです(旅打ちモノだと阿佐田哲也の諸作品、短編では『ズボンで着陸』『鶴の遠征』などが好きです)。

この作品の魅力の一つは、「80年代日本の空気感」が若者文化(サブカルチャー?)とは別の文脈で伝わってくるところなのですよ。

これが書かれた頃というのは、東北新幹線が開通したころで、開通前の試乗に招待された山口瞳がそのまま山形の上山競馬に行く回がある。つまり、その当時は「地方」がスピードによって変貌して行く過渡期であって、そういう地方に残されている競馬場がもはや過去のモノになりつつあったという背景がある。
競馬ファン山口瞳が「判官贔屓」的に地方競馬場を巡る旅を始めたのは、80年代というスピード感と華の時代を迎えて「失われていく『地方』」への某かの予感にせっつかれているのが全編から伝わって来る。
昨今の立ち飲み居酒屋ブームのような「OLDNEW」ではなくて、本当に失われつつある風景を巡る旅なのであります。

あと、これは仮説なんだが、山口瞳サントリーの文化人で、同じサントリー出身の作家として開高健がいることは大きいと思う。開高健が「遠心力で書く」と言いながらベトナム戦記を書き、世界を釣りで旅していることと、山口瞳が国内旅行にこだわり、地方競馬というミクロな視線に向かったことは果たして偶然だろうか。閑話休題

さらにもう一つ。80年代というと、おれのようなサブカル渡世の人間はどうしてもアイドル歌謡だのロックだのといったポップカルチャーから見渡すことをして来たワケなんだけど、上記の「地方」の風景とも通じる話なのだが、「文壇の大御所」としての山口瞳という人の持つ求心力…早い話がその当時の「作家」というもののステータスの高さを感じるのです。

そもそも、開通する新幹線の試乗に作家が招かれてるという事実。作家先生にまず文章で著してもらう、ということがまだまだ影響力があった時代なのかなと考えてしまう(実際そうだったんだろう)。

しかも「旅打ち」と言うにはあまりに手厚い歓待ぶり。担当編集者が2人も付き添い、その街の一流旅館に泊まり、競馬場では責任者さん直々に挨拶をされて特観席での観戦。夜は地元の名士たちと芸者を呼んで酒を飲み、払い戻しで街の骨董品屋でタンスを買う…という。いかに、「作家先生」というものが尊敬されていたか。「エスタブリッシュな作家先生が田舎の競馬場に来る」というだけで、かなりな事件だったのだ。

「作家先生」としてのそこらステータスを、「草競馬」を「流浪」している山口瞳が隠しきれずに、照れてるような、言いたいような…って感じで結局書いちゃうとこが何だか可愛いというか、憎めない。途中でガチのギャンブラーである阿佐田哲也が参戦するんだが、正直な所、山口瞳阿佐田哲也は合わなかったろうなあ…と思う。

ということで、この作品は入手困難なんだけども、「失われゆく風景」としての「草競馬」を追いかける作品が、今読むと「文壇というステータス」という「失われた風景」を見る作品にもなっているという…そんなヒネクレた見方しなくても、旅の情緒といったものは見事に伝わって来て、そしてそれがどう言う訳か秋から冬の田舎の空気感で、この季節に読むと旅に出たくなるのでございます。(2014年11月16日)

 

【2020年6月追記】コロナ禍で外出ができなかったこの時期にまた読み直してしまった。景気とか日本人の意識の変化で最近は国内地方都市の街ブラ番組などが増えているが、80年代の日本でミクロな旅を実践していたのは考えてみるとすごいことだ。

●コロナ禍の中で起きたある事件(2020年5月1日)

コロナがらみで麻雀界で事件が起きている。

昨年、ある団体の王座についたSというプロがいた。彼は昨今の麻雀プロのようなタレント性などのあるタイプではなく、麻雀に対する姿勢のひたむきさや真面目さでは有名で、団体の理事などをやって若手を鍛えたり、「団体の風紀委員」とまで言われるほどの硬骨漢で、昨年の戴冠は「ついに努力が報われたね」といった感じで、業界ではなかなかの美談として取り上げられていた。

そんなSプロが3月の終わり頃、コロナに感染した。

個人的にも驚いてしまったのと同時に、「何とまあ不器用で不運な人生なんだろ」と同情もしたんだが、実は彼、各団体のチャンピオンが対戦するビッグマッチの映像対局にその数日前に出場していて、それからの感染発覚だったのだ。

業界的には大混乱に陥った。各団体のトップが牌を握って対戦していたので彼らも濃厚接触者となってしまい、その後のビックマッチに出場する予定だった選手も活動自粛。放映するネットメディアも対局をキャンセルし、プロリーグであるMリーグにもその選手がいたためにちょうどこれからファイナルシーズンになるところで緊急事態宣言もあり延期。雀荘の休業と共に麻雀プロはゲスト活動もできなくなりこの1ヶ月というもの彼らは収入を激減させている。

その感染してしまったSプロは回復し、闘病記を発表するとの『近代麻雀』の予告が出た今日、「Sプロが先週、団体の若手と都内の雀荘で打っているのを見た」と告発された。

本人からの否定のコメントも出ず、一緒に打っていた若手からもコメントがなく、「どうやらこれはマジなのか…」と業界関係者やファンに動揺が走っている。

回復していても、一度感染した人間が麻雀打ったらイケナイ、ということではない。それは大変よくない考えだ。

目下論壇での問題は、彼は団体の第一人者の地位にいること、そして同じ麻雀プロが現在活動自粛の状態にあるということ、そしておれらのような愛好家も、雀荘経営者も、メディア関係者も必死でガマンしている中でやってしまったこと、なのだ。

事情通に言わせると彼は団体内でも若手の教育係で、規律や規則にうるさい理事であるようで、それが彼への批判をさらに強いものにしているようで。

彼が人一倍麻雀に情熱と努力を傾けてきた人だから「やはり麻雀牌に触りたくなったんだろうな」という擁護論もある。

でも、流石にこれはマズいような気がする。そもそも彼が感染してしまったことに何の罪もないのだけれど、そこから波及して試合を流してしまった上に麻雀プロたちも必死でガマンしている以上、筋というか仁義というかダンディズムとしてもここはガマンすべきだったように思うよな。

しかもその雀荘は彼の団体のお抱えのような店で、そもそも営業していたことというが不思議で、理事としての彼の何がしかの力があって店を開けたのでは、という邪推までされてしまっても仕方がない。

カミュじゃないけれど、コロナに感染したことは不条理というか不運なんで、だからこそ人間として誠実さを見せるより立ち向かう方法はないじゃないかと。

何ともねえ、困ったもんだよねえこのコロナってやつは。おれだって早く麻雀牌触りたいよ。

 

【追記】最近書いたものだから追記も何もないのだが、黒川検事長といいSプロといい、緊急事態宣言下でもやりたくなってしまう麻雀というものの魅力は凄いなと。

●黒川検事長は本当に麻雀が好きだったんじゃないか論(2020年6月3日)

黒川検事長はもしかすると本当に麻雀が好きなんじゃないか。

だって、この状況下で2回やるってすごいもの。それ以前から毎月定期的に打ってその都度次の日程決めてやってて、ある程度の信頼関係あるハズで、この時期他の方法で取材できたハズなのに、卓囲んで牌握るんだから、これ相当好きだと思うんだよ。おれだって我慢してんのに。

つまり、麻雀ってゲームは結局「メンツ」なんだよね。メンツの面白さで決まるし、その場で卓を囲んで打つ楽しさって魅力がズバぬけてるんだと思う。おれがネット麻雀を全然やらないのもそう。

しかもあのメンツを見て見ると、産経新聞朝日新聞という論調の真逆な新聞社の記者が同卓している。ってことは、麻雀仲間としての繋がりというものがそこにあって、本気の麻雀仲間だったのではないのかと。

「国会が法務省提出の法案で紛糾している最中でも時間通り雀荘に飛び込んできて、“こっちの方が大事だからな”と始めるんです。」

 

「常に「ガチンコ麻雀」で、「弱いヤツは連れてくるな」が口癖だったという。」

 

「「麻雀で負けがこむと不機嫌になる人はよくいますが、黒川さんにそれはなかった。振り込んでも“やっぱこれは危なかったよなぁ”ってうなずくんです。そして、“さぁ次いこう!”となる。」

 

『デイリー新潮』の記事だが、知れば知るほど麻雀愛を感じる、盆面のいい打ち手だなあと(笑)

卓に座ったら思想信条立場も平等になれる、って言う麻雀ってゲームの良さがよく出てると思うんだ。敏腕で、世渡りもこなしてきて検事総長にリーチかかってた黒川検事長クラスになると、「どうにもならない」とか「負ける」ことも楽しかったんじゃないか、なんてことを思ってしまうのです。

ということで、ブックカバーチャレンジではないけれど、黒川検事長には阿佐田哲也の『ズボンで着陸』という作品をオススメしたい。つーか、読んでるかもしれない。

あと、麻雀最強戦の著名人枠に出場させるべく、竹書房はスケジュール調整に走れ。ヒマになったハズだ。(2020年6月3日)