おれにゴタクを並べさせる世の中は間違っている

いつ死ぬかわからないので過去に書いたモロモロの文章をまとめてみました。

●梶原一騎『男の星座』(2014年9月10日)

 

男の星座1

男の星座1

 

 

 

知らない方に説明すれば、『男の星座』っていうのは梶原一騎の自伝的作品で、力道山大山倍達木村政彦ルー・テーズといった自分が見上げて来た「星座」たちを巡る物語なんだが、この作品が胸を打つのは、天井高く見上げていた星たちも自分と同じように悩み苦しみ戦いながら輝いているのだ、という視線に貫かれているところ。

巨人の星』の花形満の有名なセリフに、「白鳥が気高く美しいのは、水の中で必死に足をもがいているから」っていうのがあるけども、こういう視線を「優しい」とおれは思うんだ。梶原一騎は優しいよ、ホントに。

視線と言えば、ちょっと梶原イズム論になるけど、梶原ドラマ作品(『プロレススーパースター列伝』とかのドキュメントと、アルコールで荒れてたころの作品はこの限りじゃない)っていうのは必ず「女性の視点」というのを置くんだよな。そして女性の視線が「神の視点」に近い形で機能する。神の視点に近いってことは、単純に甘える対象としての女性ではなくて、惑わせたり、狂わせたりもするし、何より、ホモソーシャルな世界にいる人間に何かを気付かせる役割を果たす。
あまり梶原作品を読んだことのない、特に女性などはこのあたりの女性の描き方に、賛否はともかく「スポ根」イメージの作家とは違う印象を持つのではなかろうか。

ところで、梶原一騎を「スポ根」ってワクに押し込んだのがそもそもの間違いだとおれも強く思う。こんなことはそうそう短く書けるもんじゃないが、梶原イズムというのはマッチョな強さを讃える思想ではなくて、大仰なことを言えば「自分の弱さを自覚すること」だとおれも思うのだよ。梶原作品の暴力ってのは弱さの発露として描かれることがほとんどで、強さを誇示するような暴力は少ないんだ。

梶原一騎ってのは「強さ」よりも大事なことがある、ということを本当に信じていた人なのではないか、とおれは思う。それを論じるには多分キリスト教の影響なども考えないといけないんだろうが、おれには学がないのでこの辺で。(2014年9月10日)

 

【2020年の追記】
この時はとりあえずのメモとして書いただけだったが、その後『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)という超ド級の歴史的傑作が出たので、それをふまえなければこの作品は論じれない。それはとてもおれの手に負えない。

 

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか